1994年に登録された世界遺産と、松田光一の世界遺産アート作品(絵画)
こんにちはチームWHAです。 1994年に登録された世界遺産と松田光一がそれらから得られたイメージを作品にしたものを紹介します。1994年登録の世界遺産は計28 件、トランスバウンダリーサイト(国境を超えて登録された遺産)は0 件でした。
※各遺産の概要はWIKIPEDIAを参照しています。各絵上部の番号は、作品管理番号です。
0010
古都京都の文化財_ 日本国 Historic Monuments of Ancient Kyoto_ Japan JP_ East, South Asia_Cultural_ Kyoto and Shiga prefectures(ii)(iv)_ N34 58 50 E135 46 10_ 1994_1,056ha_ 3,579ha_ Ref:688 平等院(びょうどういん)は、京都府宇治市にある藤原氏ゆかりの寺院。平安時代後期・11世紀の建築、仏像、絵画、庭園などを今日に伝え、「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されている。山号を朝日山と称する。宗派は17世紀以来天台宗と浄土宗を兼ね、現在は特定の宗派に属さない単立の仏教寺院となっている。本尊は阿弥陀如来、開基は藤原頼通、開山は明尊である。 0696
スクーグスシルコゴーデンの 森林墓地 _ スウェーデン王国 Skogskyrkogarden_ Sweden SE_ North, Central Europe_ Cultural_ Stockholm County_ (ii)(iv)_ N59 16 32.016 E18 5 57.984_ 1994_ Ref:558rev スコーグスシュルコゴーデン(Skogskyrkogården, 森の墓地)は、スウェーデンの首都ストックホルム郊外にある共同墓地。設計コンセプトと造形には、ナショナル・ロマンティシズムから北欧新古典主義を経て、成熟した近代建築へと到達した同国の建築潮流の変遷を反映されている。 0694
ドニャーナ国立公園 スペイン Donana National Park_ Spain ES_ West, South Europe_ Natural_ Provinces of Huelva and Sevilla, Autonomous Community of Andalusia_ (vii)(ix)(x)_ N36 56 51.72 W6 21 31.9_ 1994_ 2005_ 54,252ha_ Ref:685bis ドニャーナ国立公園は、ウエルバ県、セビリャ県、カディス県にまたがるスペインの国立公園で、ヨーロッパでも最大級の自然保護区である。ユネスコの世界遺産に登録されているほか、生物圏保護区、ラムサール条約登録地にもなっている。
0695
タヌムの岩面画 スウェーデン王国 Rock Carvings in Tanum_ Sweden SE_ North, Central Europe_ Cultural_ Bohuslan (i)(iii)(iv)_ N58 42 3.996 E11 20 27.996_ 1994_ Ref:557rev ターヌムスヘーデは、スウェーデン西部のヴェストラ・イェータランド県ブーヒュースレーン地方にある人口1600人の町である。この町には青銅器時代の岩石線画の刻まれた平面岩としては、スカンジナビア半島で最大級のVitlyckehällがある。それは1972年にAge Nilsenによって発見されたが、彼はもともと建設工事中で発破を仕掛けようとして偶然発見したのだった。 100枚ほどのパネル画に約3000の岩石線画が描かれている。集中しているのは青銅器時代にフィヨルドの岸辺にあたっていた25kmほどのライン沿いの地域で、5つの区域に分類ができる。それらの面積は0.51km2 ほどである。 0693
ゼレナー・ホラの巡礼教会 チェコ共和国 Pilgrimage Church of St John of Nepomuk at Zelená Hora_ Czech Republic CZ_ North, Central Europe Cultural_ South Moravian Region_ (iv)_ N49 34 48.72 E15 56 31.41_ 1994_ 0.64ha _ 628ha_ Ref:690 1719年、ローマ・カトリック教会によるヤン・ネポムツキーの列聖調査において、その舌が朽ちていないことが宣言された年、[2]ゼレナー・ホラ(「緑の山」の意)において、殉教者ヤン・ネポムツキーを記念する教会の建設工事が始まった。これはジュヂャール・ナト・サーザヴォウのシトー会修道院の大修道院長、ヴァーツラフ・ヴェイムルヴァ(Vaclav Vejmluva, 1670年 - 1738年)によるものである。 中世のゼレナー・ホラにはシトー会の修道院があり、近郊のネポムク出身のヤン・ネポムツキーもこの修道院で学んだ。しかし、これがフス戦争で焼失したため、ジュヂャール・ナト・サーザヴォウに新たにシトー会修道院が建設された。このことから修道院とゆかりのある殉教者に捧げる聖堂として聖ヤン・ネポムツキー巡礼教会がゼレナー・ホラに建設されることとなった。 1720年にヤン・ネポムツキーが列福されると、教会はまだ建設中だったにもかかわらず、1722年に献堂された。この聖人を記念する聖堂としては最初期のものである。多くの巡礼者を集め、1769年に完成した。 教会は1737年と1783年に2度、大火に遭った。1784年、皇帝ヨーゼフ2世はジュヂャール・ナト・サーザヴォウのシトー会修道院を解散させた。その後もシトー会は1792年から1793年にかけて聖堂の屋根やファサード、1794年から1802年にかけて回廊の修復を行ったが、資金難から屋根部分の修復は完全には行われず、そのデザインはオリジナルよりも簡素なものとなった。 0692
イェリング墳墓、 ルーン石碑と教会_デンマーク王国 Jelling Mounds, Runic Stones and Church _ Denmark
DK_ North, Central Europe_ Cultural_ (iii) N55 45 23 E9 25 12_ 1994_ 4.96ha_ Ref:697 イェリング墳墓群(イェリングふんぼぐん、Jelling Mounds, Runic Stones and Church)はデンマーク、ユトランド半島中部のイェリング近郊で発見された ルーン文字の刻まれた10世紀の石碑で知られる墳墓群で、石碑はデンマークの国家の起源を示す貴重な文字資料である。 1994年に世界遺産に登録された。 イェリングにある最も古い石碑は、デンマークの最初の王とされるゴーム老王とチューラ王妃について刻んだものである。 ゴーム老王とチューラ王妃のものより大きな石碑は、かれらの子であるハーラル青歯王の記念碑である。ハーラル青歯王がデンマークとノルウェーを征服したこととデーン人のキリスト教への改宗を祝って建てられた。石碑は、イェリングの教会墓地にある二つのおおきな古墳の間に建てられている。これらの石碑はノルウェー人の土着宗教とデンマークのキリスト教化の移行期の様相を表している。
0690
クヴェートリンブルクの 旧市街 _ドイツ連邦共和国 Collegiate Church, Castle, and Old Town of Quedlinburg_ Germany DE_ North, Central Europe_ Cultural_ State of Saxony-Anhalt (Sachsen-Anhalt)_ (iv)_ N51 46 59.988 E11 9 0_ 1994_ 90ha_ 270ha_ Ref:535rev クヴェードリンブルクの歴史は9世紀初頭までさかのぼる。文献における初出は922年、ハインリヒ捕鳥王による寄進の一部として記録されている。936年のハインリヒの死後、彼の妻であるリンゲルハイムのマティルデは貴族の娘たちの教育の場としてクヴェードリンブルク女子修道院を設立、ハインリヒをはじめとする諸王を記念した。また、ハインリヒの息子で神聖ローマ帝国初代皇帝のオットー1世は父が基礎を築いた城をさらに拡張し、帝国の宮殿としての機能を持たせた。1936年、ナチス・ドイツの親衛隊指導者ハインリヒ・ヒムラーは捕鳥王の没後1000年を記念した式典をクヴェードリンブルクで行なった。第二次世界大戦後は東ドイツのハレ県に属した。1990年のドイツ再統一以降、現在までザクセン・アンハルト州に属す。1994年に世界遺産に登録された。 0691
フェルクリンゲンの 製鉄所_ ドイツ連邦共和国 Völklingen Ironworks_ Germany DE_ North, Central Europe_ Cultural_ State of Saarland_ (ii)(iv)_ N49 14 39.984 E6 50 60_ 1994_ 6.00ha_ Ref:687 フェルクリンゲン製鉄所 (Völklinger Hütte) は、ドイツの1世紀を超える歴史を持つ旧製鉄所である。銑鉄精錬の全工程を追体験できる施設は他に類例がない。この製鉄所は『工業文化のイコン』あるいは『労働のカテドラル』と称される。1994年、ユネスコはフェルクリンゲン製鉄所を世界遺産に登録した。これは産業遺産としては世界初の例であった。2007年にはドイツにおける歴史を象徴する産業建築にノミネートされた。世界文化遺産フェルクリンゲン製鉄所は、現在ヨーロッパの産業文化遺産の中で最も重要な位置を占めている。ヨーロッパ産業遺産の道のアンカーポイントである。また、フェルクリンゲン製鉄所内では多くの文化行事が開催されており、年間20万人を超える訪問者がいる。 0689
ペタヤヴェシの古教会_ フィンランド共和国 Petäjävesi Old Church_ Finland FI_ North, Central Europe_ Cultural_ Petäjävesi, Region of Central Finland, Province of Western Finland_ (iv)_ N62 15 0 E25 10 59.988_ 1994_ Ref:584 ペタヤヴェシの古い教会は、ユネスコの世界遺産に登録されているフィンランドの木造教会。フィンランド中西部の町ペタヤヴェシにあり、ユヴァスキュラの31km西に当たる。この教会は地元の棟梁ヤーコ・レッパネンによって、1763年から1765年にかけて建てられたもので、白いギリシャ十字形の土台に八角形の丸天井が載っている。全体の建材には松が使われており、中世以来の伝統に従って屋根の内側に少々赤いオークルの色がついている。屋根にはこの建築に携わった大工たちのイニシャルが刻まれている。 1821年に、棟梁の孫エルッキ・レッパネンが、上部が張り出して渡り廊下になっている木造の鐘楼と、東側の聖具室を付け加えて、現在につながる教会を完成させた。この時に窓も大きくされた。教会と鐘楼は三角形のタイルで覆われた。 内部には聖クリストフの古い彫像に支えられた素晴らしい説教壇があり、素朴な美しさを持つ四人の使徒やたくさんの天使たちの木像が彫り込まれている。身廊の向かい側には聖歌台があるが、この教会にオルガンが置かれたことはなかった。祭壇の後ろにはカール・フレデリック・ブロム (Carl Frederic Blom) 作の絵画『聖なる堅信』や、モーゼとマルティン・ルターの肖像画が吊るされている。 スカンディナビア半島の他の多くの古い教会と同じく、この教会は湖のそばに建てられており、冬の間でも水路を通じて容易に通えるようになっている。 1879年に木造の新しい教会が建てられたが、もとの鐘楼と墓地は1920年代まで使われ続けた。国の文化担当機関とフィンランドの中央教会基金が後押しをして、1980年代から90年代に主に屋根と骨組みを対象とする修復が行われた。壁は1987年に保護され、1989年と1992年には鐘楼の傷んだ部分も保護された。建物や墓地の周りを囲む壁は、1997年に新設されたものである。 教会は今でも、洗礼、結婚、コンサートなど、宗教的な大きな行事の時には使われている。 1997年にはかつて信者たちを礼拝に運んだものと同じような教会の船が、ボランティアの手によって作られ、観光用のアトラクションとして使われている。この船は、ヤーコ・レッパネンの妻の名を取って、「アンナ」と呼ばれている。 0552
オーストラリアの哺乳類の化石保存地区_ オーストラリア連邦 Australian Fossil Mammal Sites (Riversleigh / Naracoorte)_ Australia AU_ Oceania_ Natural_ States of Queensland and South Australia_ (viii)(ix)_ S19 4 60 E138 43 0_ 1994_ 10,300ha_ Ref:698 オーストラリアの哺乳類化石地域はクイーンズランド州のリヴァーズレーと南オーストラリア州のナラコーアテにある哺乳類の化石がある地区に分けられる。リバーズレーの化石発見現場はローン・ヒル国立公園(en:Lawn Hill National Park)、ナラコーアテの現場はナラコーアテ・ケーブ国立公園(en:Naracoorte Caves National Park)に登録され保護されている。この両地域で発見される化石はオーストラリア大陸における哺乳類の進化を研究する上で非常に重要なものである。 0455
ロス・カティオス国立公園 コロンビア共和国 Los Katíos National Park_ Colombia CO_ South America_ in Danger (2009) , Natural_ Provinces of Antioquia and Choco’_ (ix)(x)_ N7 40 0 W77 0 0_ 1994_ 72,000ha _ Ref:711 【危機遺産】違法な伐採による森林環境の悪化などから、2009年に危機にさらされている世界遺産(危機遺産)リストに登録された。 【概要】国立公園が設定されたのは1974年のことである。当初は520 km² を対象とする国立公園だったが、1980年に面積720 km²に拡大された。それでも、1980年に設定されたパナマのダリエン国立公園(5970 km²)に比べるとかなり狭いが、中央アメリカと南アメリカ大陸の接点にあたるこの地域に独特な動物相を守る上で重要な役割を果たしている。南北アメリカ大陸を縦断するパンアメリカンハイウェイも、ダリエン国立公園とロス・カティオス国立公園が存在する地域では途切れている。 ダリエン国立公園と隣接しているため、ロス・カティオス国立公園に見られる動物相や植物相はほぼ共通のものである。アトラト川流域に広がる熱帯雨林は、かつて間氷期の海面上昇時にも水没を免れたことで、多くの生物種にとって避難所の役割を果たしたとも言われており、北上してきた動物種や南下してきた動物種による独特の動物相が形成されている。 哺乳類は、世界最大の齧歯目であるカピバラのほか、オセロット、マントホエザルなどが棲息している。鳥類は400種以上が確認されており、これはコロンビア国内で確認されている鳥類のおよそ4分の1に該当する。 0404
ハ・ロン湾 ベトナム社会主義共和国 Ha Long Bay_ Viet Nam VN_ East, South Asia_ Natural_ Province: Quang Ninh_ (vii)(viii)_ N20 53 60 E107 5 60_ 1994_ 2000_ 150,000ha_ Ref:672bis ハロン湾(ハロンわん、越:Vịnh Hạ Long/灣下龍)は、ベトナム北部、トンキン湾北西部にある湾。漢字表記は下竜湾。クアンニン省のハロン市の南に位置し、カットバ島のほか大小3,000もの奇岩、島々が存在する。伝承では、中国がベトナムに侵攻してきた時、竜の親子が現れ敵を破り、口から吐き出した宝石が湾内の島々になったと伝えられている。 カットバ島以外の島は現在は無人だが、約7,000年前の新石器時代にはわずかに人が住んでいた。また、数世紀前までは海賊の隠れ家として利用され、また モンゴル軍の侵攻の際には軍事的に利用された。 彫刻作品のような島々の景観は、太陽の位置によって輝きが変化し、雨や霧によってまた趣のある雰囲気を醸し出す。 地質学的には北は桂林から、南はニンビンまでの広大な石灰岩台地の一角である。石灰岩台地が沈降し、侵食作用が進んで、現在の姿となった。 0400
ラサのポタラ宮歴史地区群 中華人民共和国 Historic Ensemble of the Potala Palace, Lhasa China_ CN_ East, South Asia_ Cultural_ Lhasa, Tibet Autonomous Region_ (i)(iv)(vi)_ N29 39 28.512 E91 7 1.812_ 1994_ 2000_ 2001_ 61ha _ 199ha_ Ref:707ter
ラサは吐蕃の首都であり宗教・政治上の最高責任者ダライ・ラマの鎮座する場所であった。そのため、ラサはチベット文化の中心地として発達した。ラサにあるポタラ宮をはじめとする建造物群は周辺の文化にも影響を与えチベット様式を確立。ブータン、北京、などにもその様式の影響が見られる建造物が存在する。
0398
曲阜の孔廟、孔林、孔府_ 中華人民共和国 Temple and Cemetery of Confucius and the Kong Family Mansion in Qufu_ China CN_ East, South Asia_ Cultural_ Qufu City, Shandong Province_ (i)(iv)(vi)_ N35 36 42.012 E116 58 30_ 1994_ Ref:704 ●孔廟 孔子の神霊を祭る霊所。孔子の死後、その教えを保護した皇帝達によって手が加えられ、紫禁城、岱廟と並ぶ中国三大宮廷建築の一つとされ、中国の代表的建築物といわれる。●孔府 孔子の直系の子孫が代々住み、且つオフィスとしていたところ。●孔林 200haを越える面積を持つ、孔子及びその子孫の墓。 0399
武当山( ぶとうさん) の 道教寺院群_ 中華人民共和国 Ancient Building Complex in the Wudang Mountains _ China CN_ East, South Asia_ Cultural_ Danjiangkou City, Hubei Province (i)(ii)(vi)_ N32 28 0.012 E111 0 0_ 1994_ Ref:705 武当山(ぶとうさん、ウーダンシャン)は、中華人民共和国湖北省十堰市にある山。又の名を太和山という。山脈中には道観(道教寺院)群がある。「玄天真武大帝」を奉る道教武当派と中国武術の武当拳の発祥地。道観は元の時代に戦火で焼失し、明の洪武帝の時代に再建された。道観と建物は1994年にユネスコ世界遺産(武当山古建築)となる。日本では、映画『グリーン・デスティニー』中に物語の舞台として登場し、広く知られるようになった。 0397
承徳の避暑山荘と外八廟_ 中華人民共和国
Mountain Resort and its Outlying Temples, Chengde_ China CN_ East, South Asia_ Cultural_ Chengde City, Hebei Province_ (ii)(iv)_ N40 59 12.984 E117 56 17.988_ 1994_ Ref:703 避暑山荘は清の皇帝がかつての首都である奉天(瀋陽)へ行き来する際、立ち寄る場所として87年間にわたり整備された離宮である。この離宮の整備にあたっては蘇州の寒山寺などがモチーフにされている。その周りには寺廟が周りを取り巻いている。これを外八廟という。外八廟にはポタラ宮をモデルにして建造された普陀宗乗之廟(ふだしゅうじょうしびょう)があり、外八廟はチベット様式と中国の様式を折衷した代表的様式として知られる。 0374
ルウェンゾリ山地国立公園_ ウガンダ共和国 Rwenzori Mountains National Park_ Uganda UG_ Africa_ Natural_ District of Kabarole, Kasese and Bundibugyo (vii)(x)_ N0 13 25 E29 55 27_ 1994_ 99,600ha_ Ref:684 ルウェンゾリは、現地のバコンジョ人の言葉で「雪を戴いた山」を意味する。その名の通り、アフリカでは3つしかない万年雪を戴く山地である。あと二つはアフリカ最高峰のキリマンジャロ山と第二位のケニア山であり、ナイル川源流とも云われる、標高 5,109 メートルのルウェンゾリ山にはアフリカ第3位のマルガリータ山頂がある。 ルウェンゾリ山地自体は死火山だが、ヴィルンガ山地とつながっている。このため、ルウェンゾリ山地国立公園は、コンゴ民主共和国のヴィルンガ国立公園に隣接している。 0266
バグラティ大聖堂と ゲラティ修道院_ グルジア Bagrati Cathedral and Gelati Monastery_ Georgia GE_ West, South Asia_ in Danger (2010)_ Cultural_ City of Kutaisi, Region of Imereti_ (iv)_ N42 15 43.992 E42 42 59.004_ 1994_ 7.87ha_ 11ha_ Ref:710 【危機遺産】世界遺産としての真正性と完全性を損ねかねない再建計画の存在を理由として、2010年に危機にさらされている世界遺産リストに登録された。世界遺産委員会は計画の即時撤回を求めた。 【概要】バグラティ大聖堂は、11世紀に建造されたグルジアの大聖堂である。イメレティ地方の古都クタイシに建てられた大聖堂で現在は廃墟となっているが、グルジアの中世建築史における傑作として伝えられている。 クタイシ中心部の分かりやすいランドマークである大聖堂は、Uk’imerioniの丘の頂上に残っている。建造されたのは11世紀初頭のグルジア王バグラト3世(Bagrat III)の治世下のことで、バグラティ修道院(バグラトの修道院)の名はそこに由来する。北壁に残る碑文から、床石が横たえられたのは西暦1003年であったことが明らかになっている。 1692年にイメレティ王国(Kingdom of Imereti)に侵攻したオスマン帝国軍の砲撃により、大聖堂は大きく損なわれ、丸屋根や天井も崩落し、現在の姿になった。 この大聖堂の保存と修復、および建築学上の研究は1952年に始まり、1994年にはゲラティ修道院とともにユネスコの世界遺産に登録された。2001年にはグルジア正教会の聖堂へと戻された。現在は奉神礼のための限定的な利用にとどまっているが、巡礼者を惹きつけている。同時に、観光客を惹きつける名所のひとつとして、クタイシ市全体のシンボルになっている。 0373
ブウィンディ原生国立公園_ ウガンダ共和国 Bwindi Impenetrable National Park_ Uganda UG_ Africa_ Natural_ Districts of Kabale, Kisoro and Rukungiri (vii)(x)_ S1 4 50 E29 39 41_ 1994_ 32,092ha_ Ref:682 ブウィンディ原生国立公園は、1991年にウガンダの国立公園に指定された、ブウィンディ原生林の一部である。コンゴ民主共和国との国境に接し、コンゴのヴィルンガ国立公園とも隣接しており、アフリカ大地溝帯の西リフトバレー沿いに位置する。331km²の熱帯林を含み、平地、高地の森林環境を抱えている。それらには徒歩でのみ立ち入りが可能である。公園は、コロブス・モンキー、チンパンジーや多くの鳥類(サイチョウやエボシドリなど)の保護区となっている。この公園のなかで有名なのは340頭ほどのブウィンディゴリラである。この頭数は絶滅が危惧されている世界のマウンテンゴリラの頭数の約半分にあたる。この公園には、人に馴れている3つのマウンテンゴリラのグループがある。「ムバレ」「カテンデギェレ」「ルシェグラ」と名付けられた3集団の中で、「ムバレ」が完全に馴らされている。ブウィンディの原生林は、アフリカの生態系の中でも最も豊かなものの一つである。120種の哺乳類、346種の鳥類、202種の蝶、163種の樹木、100種のシダ、27種の爬虫類などが確認されており、その中には絶滅危惧種や大地溝帯の固有種なども含まれている。 0215
サフランボルの旧市街_ トルコ共和国 City of Safranbolu_ Turkey TR_ West, South Asia_ Cultural_ City and District of Safranbolu, Province of Karabuk_ (ii)(iv)(v)_ N41 15 36 E32 41 22.992_ 1994_ 193ha_ Ref:614 サフランボルの名前の由来は、香料サフランの集積地として発展した歴史にある(ギリシア語名はサフラムポリス、Saframpolis, Σαφραμπολις)。サフランボルには、先史時代の遺跡及びローマ時代の墓や橋梁も現存しているが、歴史の表舞台に立ったのは、11世紀以降である。世界遺産に登録されているサフランボル旧市街は、乾燥した峡谷に位置しており、旧市街は、旧市街の約2km東に位置している。 サフランボル旧市街には、多くの古い建築物が保存されている。私立の博物館が1つ、25のモスク、5つの霊園、8つの歴史的な噴水、5つのトルコ式浴場、3つの隊商宿(キャラバンサライ)、1つの歴史的な時計等、1つの日時計及び数百に上るイスラーム建築によって建設された住居である。 13世紀には、交易の中心として発展を遂げた。サフランボルに現存する建築物群であるモスク、浴場、スレイマン・パシャのマドラサは、1322年に建設された。 サフランボルの栄華の頂点は、17世紀である。市場が現地の住居よりも優先されて拡張される一方で、60室のゲストルームがある宿屋、コプルル・モスク、イツレット・モスクといった建築物が17世紀から18世紀にかけて建設された。また、オスマン建築に基づいて、建設された住居が当時の姿のまま建設されたのもこの時期である。 しかし、鉄道の発展により、20世紀には、サフランボルは衰退の一途をたどることとなった。 0172
ヴィチェンツァ市街と パッラーディオ様式の別荘_ イタリア共和国 City of Vicenza and the Palladian Villas of the Veneto_ Italy IT_ East, South Europe_ Cultural_ Provinces of Padua, Rovigo, Treviso, Venice, Verona and Vicenza, Veneto Region_ (i)(ii)_ N45 32 57 E11 32 58_ 1994_ 1996_ 334ha_ Ref:712bis ヴィチェンツァは、紀元前2世紀から紀元前1世紀に建設されたローマの都市ウィケティアが起源となっている。他の北イタリアの都市と同じように、13世紀にはコムーネを組織し、近隣の都市国家と闘争を繰り広げたが、15世紀にヴェネツィア共和国の統治下におかれたことで、平和と経済的繁栄がもたらされ、卓越した芸術活動を生み出すことになった。今日、世界遺産に登録されている物件は、建築家アンドレーア・パッラーディオと彼の弟子ヴィンチェンツォ・スカモッツィの手によるものである。パッラーディオはイタリアの偉大な建築家のひとりで、彼の作品が多く残るヴィチェンツァは「パッラーディオの街」と呼ばれる。パッラーディオはルネサンス期で最初の職業建築家(つまり他の芸術活動は行わなかった)であり、設計した建築物や著作に由来するスタイルは、後にパッラーディオ主義と呼ばれ、ヴェネツィア共和国をはじめ、ドイツ、ロシア、そしてイギリス、1760年代以後にはアメリカ合衆国にまで広がりを見せた。このように、一個人の名を冠する建築様式はほかになく、彼がいかに独創性豊かで一貫したスタイルを保ち続けたかが分かる。古代遺跡に関する知識と、ドナト・ブラマンテやヤーコポ・サンソヴィーノ、ミケランジェロ・ブオナローティ、ジュリオ・ロマーノ、そしてヴェネツィアのビザンティン建築からの影響を受けたパッラーディオのスタイルは、いくぶんマニエリスム的な部分もあるためか、後に新古典主義の理論家・建築家らによって純粋でないと評された。しかし、ゲーテなどは、イタリア紀行の途中でヴィチェンツァの町並みに触れ、パッラーディオの能力を高く評価している。パッラーディオは公共建築や宗教建築の設計も行ったが、終始一貫して取り組んだ建築がヴィッラであり、その作品の数も多い。そして後世、20世紀に至るまで影響を与え続けたのも、このヴィッラであった。これらの事柄を考慮し、1994年、ヴェネト地方に点在するパッラーディオ設計のヴィッラが世界遺産として登録された。 0046
カナイマ国立公園_ ベネズエラ・ボリバル共和国 Canaima National Park_ Venezuela (Bolivarian Republic of) VE_ South America_ Natural_ Bolivar State_ (vii)(viii)(ix)(x)_ N5 19 59.988 W61 30 0_ 1994_ 3,000,000ha_ Ref:701 面積は、30,000平方キロメートル以上である。関東地方(東京都、神奈川県、千葉県、埼玉県、茨城県、群馬県、栃木県)より少し狭い程度。四国の約1.6倍である。テーブルマウンテンが大小100余りジャングルに浮かぶ一帯があり、ギアナ高地と呼ばれている。この地帯は、プレートテクトニクスの影響をほとんど受けていないため、約20億年前の地質がそのまま残っていると考えられている。 0105
ナスカとフマーナ平原の 地上絵_ ペルー共和国 Lines and Geoglyphs of Nasca and Pampas de Jumana_ Peru PE_ South America_ Cultural_ Libertadores / Wari Region_ (i)(iii)(iv)_ S14 43 32/988 W75 8 54/996_ 1994_ Ref:700 紀元前2世紀から6世紀の間に、「描かれた」と考えられている。1939年6月22日、動植物の地上絵は考古学者のポール・コソック博士により発見される。ドイツの数学者、マリア・ライヒェがこの地に住み着き、彼女を中心として、地上絵の解明作業と、保護が行われるようになった。あまりにも巨大な絵が多く、空からでないとほとんどの地上絵の全体像が把握が難しい。このような巨大な地上絵を何故描いたのかというのが大きな謎の一つとなっている。近年、自動車の侵入による破壊が著しく、消滅の危機にある。2011年1月18日、山形大学は、人文学部坂井正人教授(文化人類学・アンデス考古学)らのグループがペルー南部のナスカ台地で新たな地上絵二つを発見したと発表した。新たな地上絵二つ(人の頭部、動物)はナスカ川の北岸付近で見つかった。人間の頭部と見られる絵は横約4/2メートル、縦約3/1メートルで、両目・口・右耳の形が確認されている。動物と見られる絵は、横約2/7メートル、縦約6/9メートル。種類は特定できていない。 0151
ムツヘタの歴史地区_ グルジア Historical Monuments of Mtskheta_ Georgia GE_ West, South Asia_ in Danger (2009) , Cultural_ City of Mtskheta, Region of Mtskheta-Mtianeti (iii)(iv)_ N41 50 38.004 E44 42 59.004 1994_ 3.85ha_ 8.73ha_ Ref:708 【危機遺産】保全計画の不備から、2009年に危機にさらされている世界遺産(危機遺産)リストに登録された。 【概要】ムツヘタ(グルジア語でმცხეთა, Mtskheta)はグルジアの古都。首都トビリシから北西に20km。人口は7,600人(2004年)。クラ川とアラグヴィ川の合流地点の近くに町が広がる。 ムツヘタは、5世紀の王ワフタング1世(ワフタング・ゴルガサリ)がトビリシに遷都するまで、イベリア王国(紀元前3世紀-6世紀)の首都であった。 町を見下ろす山上に位置するジワリ修道院(6世紀)と、町の中心に位置するスヴェティツホヴェリ教会(11世紀)が有名。スヴェティツホヴェリ教会には、337年にキリスト教を国教化した王ミリアンとその妻ナナの墓がある。 ムツヘタは町全体がユネスコの世界遺産に登録されている。付近には、アルマジ砦(紀元前3世紀)など、多くの遺跡が分布している。 0685
コローメンスコエの ヴォズネセーニエ教会 _ ロシア連邦 Church of the Ascension, Kolomenskoye_ Russian Federation RU_ North, Central Europe_ Cultural_ Moscow, the South District_ (ii)_ N55 39 20.016 E37 40 26.004_ 1994_ Ref:634rev コローメンスコエ村が歴史的文書に最初に登場したのは、1339年イワン1世(イワン・カリタ)が発した遺言においてである。その後、歴代モスクワ大公によって宮殿が造営された。1667年アレクセイ・ミハイロヴィッチの木造離宮が建設された。この離宮は、1681年にサッヴァ・デメンチェフによって改修されるが、7つの木造建築と石造りの教会を回廊で結んだもので、それぞれの木造建築には多角尖塔や二面、四面のポーチカ、クープなどのロシア建築の特徴的な屋根の様式が見られた。こうして多様な形状の木造建築が混在一体となった離宮は、250室を備え、また、釘を使用していないという理由で諸外国から「世界の8つめの不思議」とも言われた。1709年、後の女帝エリザヴェータ・ペトローヴナ(ピョートル大帝の第二皇女)は、この宮殿で生まれた。しかし、宮廷がサンクトペテルブルクに移ったこともあり、次第にこの宮殿は顧みられなくなり、建設から100年目を迎えた1768年に老朽化を理由にエカテリーナ2世の勅命により解体された。当時の様子は模型となって残されており、ロシア連邦政府はこの模型を元に復元工事を計画中とも伝えられる。 カザンの生神女聖堂とペレードヌイェ門(宮殿正門) コローメンスコエで現存する建築で最も古いものが、コローメンスコエの主の昇天教会(ヴォズネセーニエ教会)である。1532年ヴァシリー3世が後のイワン雷帝の誕生を祝して建設した教会で、材料に石材と煉瓦の基礎を用い、屋根は木造である。ロシア正教会の聖堂の最初期の例の一つである。ロシア正教会の聖堂建築は、玉ねぎの形をした屋根(クーポラ)を特徴的とするが、コローメンスコエの主の昇天教会は、八角形の屋根(八角尖塔)を特徴とする。 1925年コローメンスコエは、ソ連政府によって野外文化財博物館となり、往時の建築が保護されたほか、ソ連国内の木造建築、石造建築がこの地に移築された。この中には、ブラーツク要塞の塔やニコロ・カレーリスキー修道院の聖門(プロエーズナヤ門)、ピョートル大帝の小屋、プレオブラジェンスキー宮殿の倉庫などがある。また、16世紀から18世紀に建設された石造建築は、絵画、彫刻、民芸品などを展示する博物館となっている。 0686
ルクセンブルク市の 旧市街と要塞 ルクセンブルク大公国 City of Luxembourg: its Old Quarters and Fortifications_ Grand Duchy of Luxembourg LU_ West, South Europe_ Cultural_ Luxemburg_ (iv)_ N49 36 36 E6 7 59.988_ 1994_ 30ha_ 109ha_ Ref:699 ローマ帝国時代、2つのローマ街道がこの地で交差する要衝点だった。963年、トリーアのセント・マクシミン修道院と交わした交換条約で、アルデンヌのジークフリートがこの地を手に入れた。ジークフリートは西フランク王国のルイ2世の孫で、神聖ローマ皇帝オットー1世の姻戚であった。ジークフリートは、このアルゼット川に囲まれた岩だらけの崖地に堅固なボック城を建設する。地理的に重要な戦略拠点に位置していたため、要塞は強化されて市場もでき、12世紀末までには市域は西方に今日のノートルダム大聖堂のあたりまで拡大し、新しい城壁も作られた。ヨハン盲目王の時代には新たな要塞も建造された。息子のカール4世は神聖ローマ皇帝となり、ルクセンブルク領主は伯爵から公爵へ昇爵した。 0687
ビリニュスの歴史地区_ リトアニア共和国 Vilnius Historic Centre_ Lithuania LT_ North, Central Europe_ Cultural_ City of Vilnius_ (ii)(iv)_ N54 41 12.012 E25 17 35.016_ 1994_ 2012_ 352ha_ 1,912ha_ 541bis リトアニア大公国の王ミンダウカスの居城の一つとして、この地に城が作られたのは13世紀であった。ゲディミナス朝の中興の祖・ゲディミナスによって公国の領土は、ベラルーシ、ウクライナ、そしてドニエストル川全域、さらにはポーランドやロシアの一部にまで拡大したが、ヴィルナ川とネリス川という二つの航行可能な河川が流れ、森林と湿地に守られたヴィリニュスは公国の統治・防衛に好都合で、首都として機能するようになる(1323年、ゲディミナスがローマ教皇ヨハネス22世に宛てた書簡に都として名前が登場する)。
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ポポカテペトル山麓の 16 世紀初期の修道院群_ メキシコ合衆国 Earliest 16th-Century Monasteries on the Slopes of Popocatepetl_ Mexico MX_ Central America_ Cultural_ Morelos and Puebla States Municipalities: Atlatlauhcan, Cuernavaca, Tetela del Volcan, Yautepec, Ocuituco, Tepoztlan, Tlayacapan, Totolapan, Yecapixtla and Zacualpan de Amilpas in Morelos. Calpan, Huetotzingo and Tochimilco in Puebla._ (ii)(iv)_ N18 56 4.992 W98 53 52.008_ 1994_ Ref:702 「ポポカテペトル山腹の16世紀初頭の修道院群」は、メキシコの世界遺産リスト登録物件の一つである。メキシコ中央部のポポカテペトル山近くにある修道院群は、16世紀にフランシスコ会士、ドミニコ会士、アウグスティノ会士たちによって建立されたもので、広大な範囲の土地で暮らしていた非常に多くの人々を、短期間にキリスト教化する上で中心的な役割を果たした。 地方自治体上はモレロス州のアトラトラウカン (Atlatlauhcan)、クエルナバカ、ウエヤパン (Hueyapan)、テテラ・デル・ボルカン (Tetela del Volcán)、ヤウテペク (Yautepec)、オクイトゥコ (Ocuituco)、テポストラン (Tepoztlán)、トラヤカパン (Tlayacapan)、トトラパン (Totolapan)、イェカピクストラ (Yecapixtla)、サクアルパン・デ・アミルパス (Zacualpan de Amilpas)、および、プエブラ州のカルパン (Calpan)、ウエホトシンゴ (Huexotzingo)、トチミルコ (Tochimilco) に散在しているが、いずれもポポカテペトル山の近くである。 箱型の主な建造物群の質素な作りと、地域住民を監視するかのような威圧的な高さとが印象的なこれらの修道院群は、1994年にユネスコの世界遺産リストに登録された。それらの修道院群は小さな塔をそなえた強固な壁に護られており、それがまた威圧感を増している。