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1978年に登録された世界遺産 | 松田光一の世界遺産アート作品(絵画)

こんにちはチームWHAです。 1978年に登録された世界遺産を、松田光一がそれらから得られたイメージを作品にしたものを紹介します。1978年登録の世界遺産は計12件でした。この年が初めて世界遺産登録がスタートした年です。

※各遺産の概要はWIKIPEDIAを参照しています。各絵上部の番号は、作品管理番号です。

0088

0088-1_アーヘンOLTW

アーヘンの大聖堂_ ドイツ連邦共和国 Aachen Cathedral_ Germany North, Central Europe_ Cultural_ State of North Rhine-Westphalia (Nordrhein-Westfalen)_ (i)(ii)(iv)(vi)_ N50 46 28 E6 5 4_ 1978_ Property:0.20ha _ Ref:3 アーヘン大聖堂はしばしば「皇帝の大聖堂」(ドイツ語:Kaiserdom)として言及され、この大聖堂は北部ヨーロッパでは最古のものである。786年にカール大帝がアーヘンの宮殿教会の建設を始めた。814年にカール大帝が死ぬと彼は自身の大聖堂に埋葬され、彼の骨はいまも特別の神殿に保存されている。 大聖堂は、一千年以上の時を経て、現在の装いを調えた。 アーヘン大聖堂の中心は宮殿教会である。それは後世の増築部分と比較すると驚くほど小さいが、建設当時は、それはアルプス以北では最大のドーム建築であった。 古典主義様式、ビザンティン様式そしてゲルマン様式-フランク王国様式の要素を備えた心を奪う建築は、きわめて重要な記念碑的建造物の真髄である。アーヘン大聖堂は、936年から1531年にかけての約600年間に神聖ローマ帝国の30人の皇帝たちの戴冠式が執り行われた場所でもある。

0138

0138-1_ヴィエリチカ岩塩坑1OLTW

ヴィエリチカ 岩塩坑 ポーランド共和国 Wieliczka and Bochnia Royal Salt Mines_ Poland_ PL_ North, Central Europe_ Cultural_ (iv)_ N49 58 45 E20 3 50_1978_ Extension: 2008,2013_ Ref:32ter 1044年の創業(ポーランド王国のクラクフへの遷都は1038年)。廃坑になっていない岩塩坑としては世界最古で、同時に世界最古の製塩企業でもある。深さは地下 327 m 、全長は 300 km 以上に及ぶ(廃坑になっているものも含めると世界最古の岩塩坑は同じくポーランド共和国マウォポルスカ県にあるボフニャ岩塩坑)。 特筆すべきは、観光客向けの 3.5 km の坑道で、歴史上や神話上の様々なモチーフを象った彫像が並んでいる。その全ては、坑夫たちが信仰のために岩塩を彫り上げたものである。さらには屈曲した部屋や礼拝堂が岩塩で形成され、岩塩採掘史の展示までがなされている。さながらそこは岩塩製の地下大聖堂のごとき景観を呈しているのである。 この岩塩坑には年間110万人もの観光客が訪れる。長い歴史においてこの岩塩坑を訪れた有名人には、ニコラウス・コペルニクス、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ、アレクサンダー・フォン・フンボルト、ドミトリ・メンデレーエフ、イグナツィ・パデレフスキ、ロバート・ベーデン=パウエル、カロル・ボイティワ(後のヨハネ・パウロ2世)、ビル・クリントンなどがいる。 第二次世界大戦中には、この岩塩坑を占領したドイツ軍がその一部を軍需物資の製造拠点として使用した。 0043

0043-1_イエローストーンOLTW

イエローストーン 国立公園 アメリカ合衆国 Yellowstone National Park_ United States of America_ North America_ US_ Natural_ (vii)(viii)(ix)(x)_ N44 27 38.016 W110 49 40.008_ 1978_ Property:898,349ha_ Ref:28 イエローストーン国立公園(イエローストーンこくりつこうえん、Yellowstone National Park)はアイダホ州、モンタナ州、及びワイオミング州に位置するアメリカ合衆国の国立公園である。イエローストーンは世界最古の国立公園であり、ワイオミング州北西部を中心として3,470平方マイル(8,980平方km)にわたる。この国立公園は様々な間欠泉や温泉、地熱によるその他の見所で有名であり、グリズリーや狼、及びアメリカバイソン(バッファロー)やワピチの群れが生息している。ここは地上に残された数少ない手付かずの巨大温帯生態系の一つであるイエローストーン圏生態系 (Greater Yellowstone Ecosystem) の中心になっている。 0132

0132_110810ガラパゴス_W

ガラパゴス諸島 エクアドル共和国 Galapagos Islands_ Ecuador_ EC_ South America_ Natural_ Cantons: San Cristobal, Santa Cruz and Isabela, Province of Galapagos_ (vii)(viii)(ix)(x) N0 49 0.012 W91 0 0_ 1978_ Extension: 2001_ Ref:1bis エクアドル本土より西約900kmにあり、大小多くの島と岩礁からなる。現在、ガラパゴスの123の島に名前が付いている。 最も北のダーウィン島と南のエスパニョーラ島の間は220km離れている。 最大のイサベラ島は面積4640平方km、島内のウォルフ火山は海抜1707mの高さである。 5~10百万年前の火山活動(ホットスポットの活動)で出来た諸島で、現在も火山活動が続いており、2009年4月にフェルナンディナ島で噴火した。 構成島 19の主な島と小さな島や岩礁から成る。 サンタ・クルス島 バルトロメ島 サン・クリストーバル島 - バルトラ空港と結ぶ小空港がある。 サンタ・フェ島 エスパニョーラ島 - 諸島で最も南東に位置する一番古い島。フェルナンディア島のマグマ上昇地(ホットスポット)から250km離れている。火山活動により今から300~500万年ほど前に誕生したと言われている。 フロレアーナ島 イサベラ島 - 諸島で最も大きい島。諸島で唯一、島の北部を赤道が通過している。 フェルナンディーナ島 - 諸島の西端に位置し、最も火山活動が活発な島。 トルトゥーガ島 サンティアゴ島(サン・サルバドール島、ジェームズ島) ピンタ島 マルチェーナ島 へノベーサ島 セイモア・ノルテ島 バルトラ島 - 本土と結ぶ主要空港がある。 ピンソン島 ラビダ島 ダーウィン島(カルペッパー島) - ウォルフ島とともに他の島々から離れた北西端に位置する島。 ウォルフ島(ウェンマン島) 他 プラサ島 - サンタクルス島端の小島。 など 0153

0153-1_Nahanni National ParkOLTW

ナハニ 国立公園 カナダ Nahanni National Park_ Canada_ CA_ North America_ Natural_ Northwest Territories_ (vii)(viii)_ N61 32 50 W125 35 22_ 1978_ Property:476,560ha _ Ref:24 ヴァージニア・フォールズにおいて、水流は、水煙を立てながら、90メートルの高さを急落する。この落差は、ナイアガラの滝の約2倍である。ヴァージニア・フォールズの中心には、カナダでは有名なカヌー選手であり、著述家、映画監督でもあるビル・メイソン(en、1929年-1988年)にちなんで名づけられたメイソンズ・ロックと呼ばれる岩が存在する。また、この滝の周辺部は、ランのなかでも、希少種の生息地でもある[3][4]。現在、この滝について、カナダの首相を務めたピエール・トルドーの名前にちなんだ名称へ改名が提案されている。この滝を除いても、多くの急流がこの国立公園には点在している。 0158

0158-1_L’Anse_aux_Meadows_National_Historic_SiteOLTW

ランス・オー・メドー 国立歴史公園 カナダ L’Anse aux Meadows National Historic Site_ Canada_ CA_ North America_ Natural_ Province of Newfoundland and Labrador_ (vi)_ N51 28 0 W55 37 0_ 1978_ Property:8,056ha _Ref:4 グリーンランド以外の北アメリカで、唯一ヴァイキングの入植地として確認されている遺跡である。長年にわたり考古学調査が行われており、クリストファー・コロンブスのアメリカ到達から遡ること500年以上前の住居や道具などが出土した。居住地には北アメリカで最初にヨーロッパ人が作った構築物が含まれている。一般には、西暦1000年ごろヴァイキングの航海者レイフ・エリクソンが到達した、半ば伝説とされる土地「ヴィンランド」だと考えられている。ランス・オ・メドーの入植地は少なくとも8つの建物からなっている。鍛冶と溶鉱炉、船作りを支えた製材所なども見つかっている。最大の建造物は、縦28.8m、横15.6mの床面積があり、複数の部屋からなっていたと思われる。 0176

0176-1_Island of Gorée ゴレ島1OLTW

ゴレ島 セネガル共和国 Island of Gorée_ Senegal_ SN_Africa_ Cultural_ (vi)_ N14 40 1.992 W17 24 2.988_1978_ Ref:26 1444年、ポルトガル人が到達する。1628年、オランダにより占拠される。以後、イギリスとフランスが領有争いを繰り広げるが、最終的にフランス領とされる。フランスはフランス革命の際1794年に奴隷廃止を宣言したが、1802年にナポレオンが砂糖プランテーションの農場主の要請により撤回している。ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネの父も富裕なマルチニークの農場主であった。1815年3月百日天下の際にナポレオンはイギリスの歓心を得るために奴隷貿易を廃止した。奴隷貿易が廃止されると商業の中心はリュフィスク(1840年)、ダカール(1857年)へと移った。1872年サンルイと共にフランス式のコミューンが置かれた。ダカールも当初はゴレ・コミューンの一部だったが、1887年に独立した。1891年ゴレには2,100人、ダカールに8,737人の人口があった。1926年にはゴレ700人、ダカール33,679 人となり、1929年にゴレはダカールに統合された。  0177

0177-1_Simien National Park シミエン国立公園1OLTW

シミエン 国立公園 エチオピア連邦民主共和国 Simien National Park_ Ethiopia_ ET_ Africa_ in Danger (1996)_ Natural_ Gondar Region_ (vii)(x)_ N13 10 60 E38 4 0_ 1978_ Property:13,600ha _ Ref:9 【危機遺産】この山地には、4000m地帯にすら暮らしている人々がいる。彼らは2000年前からこの地で細々と農耕を行ってきたとされるが、その農地拡大が環境の悪化に拍車をかける面が指摘された。また、1993年まで続いたエリトリア独立をめぐる内戦も環境を大きく損ねる原因となった。これらのことから、1996年に危機遺産に登録された。 【概要】シミエン国立公園は、エチオピア北部ゴンタール州にある1969年設立の国立公園。タナ湖の北東約110kmの一帯に広がるシミエン山地を対象とする220km2に及ぶ国立公園である。シミエン山地にはエチオピア最高峰(アフリカ大陸第4位)のラス・ダシェン山(標高4620m)をはじめとする高山が続き、「アフリカの天井」とも呼ばれている。この厳しい自然環境のなかで、独特の動植物たちが生息している。国立公園指定のきっかけのひとつは、ワリアアイベックスを保護することにあった。ワリアアイベックスは、ヨーロッパ大陸のアイベックス(ヤギ亜科)と同系統で、かつてヨーロッパとアフリカが地続きだったときに渡ってきたと考えられている。このほかの哺乳類や鳥類としては、ゲラダヒヒ、アビシニアジャッカル、ブチハイエナ、サバンナダイカー、チョウザンボウ(猛禽類)などが生息している。植物では、ジャイアントロベリアやピペリクム(オトギリソウの一種)などが見られる。​ 0178-R

0178-1-R_ラリベラの岩の聖堂群_エチオピア連邦民主共和国OLTW

ラリベラの 岩の聖堂群 エチオピア連邦民主共和国 Rock-Hewn Churches, Lalibela_ Ethiopia_ET_ Africa_ Cultural_ Amhara Region_ (i)(ii)(iii)_ N12 1 45.66 E39 2 25.512_ 1978_ Ref:18 石を刳り貫いて作り上げたエチオピア正教会の教会堂群で、世界の石造建築史から見ても非常に重要な建造物である。正確な建造年代は不明だが、ザグウェ朝のラリベラ王が君臨していた12世紀から13世紀にかけての時期に建造されたと推測されている。 0179

0179-1_Cracow's Historic Centre クラクフの歴史地区OLTW

クラクフの 歴史地区 _ ポーランド共和国 _ Cracow's Historic Centre_Poland_ PL North, Central Europe_ Cultural_ (iv)_ N50 4 0.012 E19 57 34.992_ 1978_ Property:150ha_ Buffer zone:1,057ha_ Ref:29bis クラクフ(Kraków( 'krakuf (ヘルプ・情報)), 独:Krakau クラカウ)はポーランド南部にある都市で、マウォポルスカ県の県都。ポーランドで最も歴史ある都市の一つであり、17世紀初頭にワルシャワに遷都するまではクラクフがポーランド王国の首都であった。ポーランドの工業、文化の主要な中心地でもある。ヴィスワ川の上流に位置し、市街地はヴァヴェル城を中心としてヴィスワ川両岸に広がっている。人口は約75万で、これはワルシャワ、ウッチに続く第3の規模である。  0180

0180-1 City of Quito キトの市街OLTW

キトの市街 エクアドル共和国 _  City of Quito_ Ecuador_ EC_ South America_ Cultural_ (ii)(iv)_ N0 0 14 W78 30 0_ 1978_ Property:320ha _ Ref:2 15世紀末にはインカ帝国の支配下に置かれ、11代インカ皇帝ワイナ・カパックの母親が当地の出身だったため、帝国の第二の首都として整備されることとなる。第一の首都であるクスコからキトまでは、インカ道が通された。 しかしその後、帝国ではクスコ派とキト派との対立が深まり、ワイナ・カパックの死後、帝国は2人の息子により分けられ、ワスカルがクスコを中心に帝国の大部分を、そして、アタワルパがキトを中心に北部を収めることとなる。 その後起こった内戦で勝利を収めたアタワルパは、キトからクスコへ向かう途中、侵略してきたスペイン人の捕虜となり、処刑される。そしてキトは、スペイン軍の侵略を防ぐために、アタワルパの武将であったルミニャウィによって破壊された。 結局、インカ人の反乱は制圧され、フランシスコ・ピサロは1534年、キトへの殖民を開始。街は「サン・フランシスコ・デ・キト」と名づけられた。 地元民は改宗させられ、教会の建設などに酷使された。そしてその後300年にわたり、キトはスペインの植民地として支配されることとなる。 1800年代初頭には人口1万人を数える都市に成長していたキトだが、そのころにはスペインからの独立の気運が高まってきていた。しかしその運動は、1810年にリマから派遣されたスペイン軍により鎮圧されることになる。 だが、その後も運動は続き、救援に来たアントニオ・ホセ・デ・スクレが1822年にスペイン軍にピチンチャの戦いで勝利したことで、スペインからの独立を勝ち取り、大コロンビアの一部となる。 だが、1830年には独立し、独立したエクアドルの首都となる。 0181

0181 メサ・ヴェルデ 国立公園 アメリカ合衆国 Mesa Verde National Park_ United States of America_ US_ North America _ Cultural_ Colorado_ (iii)_ N37 15 42 W108 29 8_ 1978_ Property:21,043ha_ Ref:27

メサ・ヴェルデ 国立公園 アメリカ合衆国 Mesa Verde National Park_ United States of America_ US_ North America _ Cultural_ Colorado_ (iii)_ N37 15 42 W108 29 8_ 1978_ Property:21,043ha_ Ref:27 1世紀ごろから、この地に農耕民であるアナサジ族が住み始めたと推測されている。アナサジ族は、8世紀ころまでバスケット・メーカー文化と呼ばれる独特なかご作りで知られる文化を築いていたが、9世紀ころからキヴァという儀式を行う施設を伴う日干し煉瓦の壁によって区画された集落遺跡を築くようになる。これをプエブロ文化と呼び、 12世紀頃になると、外敵の襲来に備えた、本格的な「岩窟住居」を作り、そこに住み始めたと考えられている。 同時期の遺跡としては、ニュー・メキシコ州北西部の半円形の壮大なプエブロ・ボニート遺跡を中心とするチャコ・キャニオンの遺跡群が知られている。その他にも、ユタ、コロラド、アリゾナ、ニュー・メキシコ4州の州境が1点に集まるフォー・コーナーズ周辺にはコロラド州のメサ・ヴェルデをはじめとして、アリゾナ州のキャニオン・デ・シェイ、ユタ州のホヴンウィープなど数多くの遺跡群が見られる。

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